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「生きる」ということ


これは、ロシナンテスの川原尚行さんの講演の模様です。

「ロシナンテス」は、アフリカのスーダンと東北の東日本大震災の被災地で、医療支援を中心とした様々な活動を展開している国際NGO。

川原さんの存在を知ったのは、僕の妻の声です。

彼女は、ロシナンテスの志に強く共鳴し、その生き方全てに敬意を抱いていました。

「人生とはなんだろう?」

講演の取材を通して感じたこと。

「大切な人を幸せにしたい」とか「目標を達成したい」など、頭の中では日々いろいろな言葉や感情が駆け巡っています。

人の夢や想いに大小はありません。

ただ、何を原動力に突き動かされているのか。

この世に生まれてきた〝人として〟の選択。

強く想うことの難しさ。

そして、想いを実際に行動に移すことがいかに難しいか。

「生きる」とはどういうことなのでしょうか?

川原さんは自身の著書『行くぞ!ロシナンテス』の中でこう述べています。

 

「なぜ生きるのか?」ではなく、「何を求めて生きるのか?」

私の場合は、恐らく、そういうことなのかもしれません。

『行くぞ!ロシナンテス』より

 

「さぁみんな、ロシナンテスになって立ち上がれ!」とは僕は言いません。

この記事を通して「生きること」を見つめ直すきっかけになってもらえればと思います。

どの言葉に、どの行動に、共鳴し、動きはじめるのか。

それが世の中が少しでも良くなる力になっていくことだと思います。

 

人は神様によって失敗に立ち向かっていくようデザインされているのかも知れません。

『行くぞ!ロシナンテス』より

 

人の役に立つように生きるとは?

川原

高校時代はずっとラグビーをやっていて、花園を目指して青春をかけていた。

残念ながら最後、負けてしまった。

それが高校三年生の秋。

「将来は何になろうか?」

それまでラグビーで全国大会に出場することしか考えてこなかった。

その時、私は3、4歳の頃のことを思い出した。

「将来は人のために生きなさい」

祖父と仲が良かったお寺のお坊さんが私に言った言葉。

小さい頃は忘れていたのですが、なぜかその時、記憶が蘇った。

「医者という生き方は、人のためになるのではないか」

その瞬間、医者になることを決意して学びはじめた。

───そして、医者になった。

「医務官としてタンザニアに行かないか?」

私の卒業した九州大学と外務省は提携関係にあり、声をかけられた。

「行きたい」

行ったことのない海外。

妻と子どもを連れてタンザニアへと行った。

今から20円前───1998年のこと。

そこには海があり、空があった。

心配していた妻と子も、だんだん生活に慣れてくれた。

当初、一年で帰国する予定だったが、続けているうちに〝外務省大使館の医務官〟という仕事に強く惹かれていった。

「大学に戻らず、外務省にずっといさせてください」

「アフリカに関わっていきたい」ということを伝えた。

───2002年

タンザニアに替わり外務省から次に言い渡されたのがスーダンだった。

赴任した時は〝スーダン共和国〟という一つの国だった。

2011年、内戦により〝南スーダン〟として独立分離する。

当時はまだ内戦の最中だった。

教科書で見た、うずくまる小さな子を、後ろでハゲワシが狙っているという写真───『ハゲワシと少女』が撮影されたのもスーダンだった。

「ここに行くのか」

内戦、貧困、病…

ニューヨークで起きた同時多発テロの首謀者と言われていたウサーマ・ビン・ラディンが潜伏していたこともあり、アメリカはスーダンに警戒態勢をとっていた。

日本政府からも援助が止められている中、妻と子どもを連れて赴任した。

 

スーダン南部には二度訪問しました。

紛争から逃れてきた人たちが身を寄せ合う難民キャンプには、人が溢れかえり、布で覆われただけの粗末な小屋で、雨露と日差しをしのぐだけの貧しい暮らしをしていました。

衛生環境も悪く、栄養状態も良くありません。

マラリアなどの感染症が蔓延し、患者の数と医療サービスとのバランスが崩れ、十分な治療がなされていない状況でした。

た、病院の外科手術には多くの銃創の患者が運ばれてきます。

これはまさしく、内戦が続いている証左といえるでしょう。

『行くぞ!ロシナンテス』より

 

黙ってやり過ごせば2、3年で次の国へ移っただろう。

ただ、医者として───人間として「放っておけない」という気持ちになった。

自分には小さい力しかない。

でも、何かできないだろうか?

2005年、外務省を辞め、スーダンに滞在し続けることを決意した。

再びスーダンに乗り込んだ。

今度は〝外務省大使館の医務官〟ではなく、一人の〝医者〟として無医村を巡回する。

国としての後ろ盾もなく、現場に溶け込んでいく。

 

「サラマリコン」

川原

サラマリコン───「あなたに平和を」というイスラムのすばらしい言葉。

その言葉を交わし、お互いにコミュニケーションをとる。

スーダンでは、猛暑の日には気温が50℃に達する。

そんな時、現地の人からもてなしを受ける。

コップに入った茶色い水。

それは、ラクダが飲んでいるものと同じ───雨水を溜池に蓄えていた泥水。

医者としては決して勧めることはできないが、私はそれをぐいっと一気に飲み干す。

そして、笑顔で「ありがとうございます」と礼を言う。

その姿を見て、彼らは私のことを受け入れてくれる。

 

彼らが飲むものを飲み、彼らが食べるものを食べる。

実際に美味しいのだから、自然と笑顔になります。

ニコニコする私を見て、村の人たちも喜んでくれる。

こういう姿が相手の警戒心を解き、その積み重ねが仲間意識に繋がり、徐々に信頼関係が育まれていくのだと思います。

『行くぞ!ロシナンテス』より

 

彼らの生活の中に入り、診療をするというスタイル。

村人と一緒に生活しながら診療をする。

一緒に食事をし、一緒に寝泊まりをしながら続けた。

今ではロシナンテスも少し大きくなった。

「この村はいい。でも、隣の村はどうだろう?」

村に入り込んで診療する中で、そのような考えが芽生えはじめた。

10年後、20年後のことを視野に入れ、いいカタチで現地の人に関わってもらった方がいい。

そのような想いから、スーダンの人たちだけで医療チームをつくることにした。

技術は私たちが教えていけばいい。

スーダンにはおよそ30の村がある。

車で移動しながら2週間かけて診療する。

全ての村に診療所があるわけでもなく、設備が整っていない村では民家や公民館を診療所の代わりにする。

医療チームは診療室をつくり、車を移動しながら母親と子どもの健康診断を行う。

日本には母子手帳というすばらしいものがある。

それに則った簡易版を作成し、母親が管理する用と統計用の2種類を作成する。

子どもの成長曲線を標準地と比較し、その子の栄養状態の良し悪しを調べる。

「グラフって何?」というところ彼らに勉強してもらう。

グラフへの点の打ち方を教え、それを彼らが母親へ指導するところまでできるようになった。

 

どこまでも地道な作業。

ただ、主役は誰でもない彼ら。

私たちが教え、彼らが実際に診療をしていく。

 

ワクチンは要冷蔵で管理する。

暑くなると冷蔵庫の利き目が悪くなるので、保冷剤を加え、温度管理を。

そして、首都ハルツームから地方まで移動する。

途中の村々で保冷剤を冷やし直したり、あるいは冷蔵庫がないところではそのまま氷を買ってきたり。

これをコールドチェーンと呼ぶ。

そのようにして、最終的に接種するところまでワクチンの品質管理ができるように工夫している。

時に、ワクチン接種を認めない村人と出くわす。

「それを打てばひどい副作用が起こり、子どもが死んでしまう」という迷信を信じている。

高齢の層の方に多く、子どもの母親は理解しているが、そのまた母親(祖母)が拒否をしているというパターンが多い。

いかに彼女たちを説得するか。

一軒一軒挨拶に行き、きちんと説明をする。

最終的には彼女たちも納得してくれて、子どもにワクチンを打つことができた。

「何かあればいつでも言ってください。すぐに駆けつけます」

フォローアップすることが大切。

 

土とレンガの診療所プロジェクト

川原

村人から「診療所が欲しい」という声があった。

月に一度の巡回診療では、なかなか医療が行き届かない。

保健省を含め、地域住民と話し合い、3ヵ所に診療所をつくることが決まった。

ナイル川の近くに村がある。

土を掘り出し、ナイル川から運んできた水を混ぜて捏ねていく。

それを一つ一つ天日干しして焼くとレンガができあがる。

一つ一つレンガを積み上げていく。

土とレンガでできた診療所。

それを3つ───2018年1月に完成した。

村では拍手が起こった。

 

本当に多く日本の方々からご支援をいただきました。

このレンガ一つ一つがみなさまの気持ちだと思っています。

大事に、大事に積み上げて、これからもずっと残っていく診療所になるように願っております。

 

日の出前、昼、3時くらい、陽が沈む前、そして夜。

イスラム教徒の人々はどこにいようと必ず5回、メッカへ向かってお祈りをする。

アッサラーム アライクム

ワ アライクム アッサラーム

お祈りが終わるとみんなで並び、双方にこの言葉を伝える。

「あなたに幸せを」という意味。

誘われた時は私も皆の中へ混じり、一緒にその儀式に参加する。

イスラムの宗教観に親しみを感じる瞬間。

北コルドファン。

内戦があったダルフールに近い場所。

そこで起きているのは水問題。

この地域には1万人の村人が住んでいる。

そこには古ぼけた井戸がたった2つしかない。

井戸が動きはじめると、一家総出で水汲み作業に取り掛かる。

子どもでも水汲み作業をしている。

この作業に追われ、中学生も高校生も勉強ができない状況にある。

生活の中で何よりも大切なのが水汲み作業なので、何時間も並んで順番を待つ。

水問題は人々の時間を奪う。

2011年の東日本大震災。

たまたまスーダンから帰国していた時に震災が起きた。

そのまま宮城県の閖上地区に駆けつけた。

1000人を超える避難者が集まった小学校。

そこで急遽、診療を行った。

アフリカで現地の人たちの中に溶け込んで診療したように、東北の方々に寄り添って診療した。

アフリカで学んだことを実践するように。

医療だけでなく、皆を元気にしたいという想いがあった。

避難所を少しでも明るくできないかと思い、子どもたちと一緒にイベントをした。

みんなでラジオ体操をしたり、子どもたちとラグビーをしたり。

子どもが元気になれば、そこにいるみんなが元気になる。

 

歌をうたってお父さんやお母さんを喜ばせたり。

沖縄の歌手のかりゆし58さんに来ていただいて、みんなで歌ったり。

これらを子どもたちと一緒に企画します。

避難所に一体感が生まれ、「一つになった」という気持ちになりました。

 

それらのことを集会で決めていく。

その中で一つ、私が提案したこと。

「みんなで花見をしましょう」

震災が起きた3月11日。

そこからだんだん桜が咲きはじめた。

東北へも遅い遅い、春が来た。

避難所では皆が厳しい生活を強いられていたので「花見をしよう」と提案した。

 

被災者のみなさんにもいろいろ想いがあると思います。

「ただ、そういったことも一晩だけ全て忘れて、みんなで仲良く花見をしませんか?」と。

そしてお花見をしました。

お酒も飲みました。

私は大の酒好きですので、率先して飲んだのですが、それでみなさんも和んでくれて一緒に飲みました。

東北の方々も非常に喜んでくれました。

 

日本人は桜が大好きだ。

私も好きだけど、東北の人も好きで。

「だったら、桜の木を植えましょう」

閖上の日和山に、子どもたちと一緒に桜の木を一本植えた。

この場所には今、お社も建っていて、桜の木がきれいに咲いている。

復興が進む中で、閖上の方々が「これはこのまま残そう」と言ってくれた。

桜の木があり、鳥居のある小さな神社。

「ここには閖上の方々の想いがある」

そうこうしているうちにスーダンの事業も進んできた。

井戸を3つ掘った。

私もスーダンへと向かった。

完成式を終えた後、夜な夜なスーダンの村人たちが集まって来た。

彼らは御座を広げた。

するとその上には、お金が散らばっていた。

「ロシナンテスが来てくれて診療所ができた。井戸もできた。すごくよくなっていった。

ロシナンテスの川原の故郷───日本が今、大変なことになっているのだろう?

なんとか俺たちの気持ちを日本へ届けてくれ」

涙があふれた。

金額ではない───彼らは本当に貧しい生活の中、集めてくれた大切な大切なお金。

これは価値をつけることができない。

心が洗われる心地になった。

彼らにスーダン政府代表として実際に日本へ来てもらった。

そして閖上にある神社へ。

旗には「スーダン共和国有志一同」と───これは、スーダンの方々の想い。

改めて思った。

本当に大事なのは、「お互いを繋げる」ということなのではないだろうか。

 

こうして川原さんの講演は終わりました。

「伝えよう」とすれば想いは伝わる。

ただ、想っているだけではダメで。

志に向かって歩み出さなければいけません。

「生きるってなんだろう?」

最後に、川原さんが「ロシナンテス」と名付けた理由お話になった言葉でこの記事を締めたいと思います。

私たちの団体名は「ロシナンテス」といいます。

〝ロシナンテ〟とはドン・キホーテが乗るロバのような痩せ馬。

私たちは、一人では非力です。

決して大きな力は持っていない。

一人ではできないことでも仲間が集まれば、一つずつ目標を達成していくことができる。

私も〝ロシナンテ〟です。

失礼かもしれませんが、みなさんも〝ロシナンテ〟。

一人ひとりが手を携えれば大きな力となり、世の中を動かすことができるのではないでしょうか。

そういう願いを込めて「ロシナンテス」という名前をつけさせていただきました。

 

人間が本当に何かを伝えたいときは、形式どおりの言葉をたくさん並べても役に立たず、ただ唯一必要なのは、そこに確かな魂を込めること。

それだけなのです。

『行くぞ!ロシナンテス』より

 

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