大阪の中央公会堂で開催された『かわるフェス2019』(NPO未来ラボとMUSUBUによる主催)。
メインイベントの一つとして、起業家の家入一真さんと編集者の箕輪厚介さんによるトークショーが開かれた。
モデレーターはNPO未来ラボの今井紀明さん。
テーマは「夢を実現するためのコミュニティ論」。
お互いの強さ
家入
「箕輪さんの強さってどこから来ているのかな?」と思った時に、最終的に帰る場所があるということだと思うんですね。
たとえば、歌をうたったり、芸人さんのようなこともしていたりしますよね。
でも、芸人さんとの違いって、箕輪さんは編集者として優秀なわけですよ。
例えば、犬小屋があって、僕たちは全員鎖に繋がれた犬だとしますよね。
その鎖をどれだけ長くして自由に動くことができるかというのが表現の幅だと思うのですが、最終的に帰ってくる場所は犬小屋なんです。
箕輪さんの場合、小屋は〝編集〟ということなんですね。
その強さってすごくある。
箕輪
今、家入さんの時代が来ていますよね。
僕が思うのは、いろんな企業家の方々と〝コミュニティ〟に関する話をしていて、例として最初に名前が挙がるのは家入さんなんですよね。
今までは、お金が儲かるビジネスモデルを思いつく人が重宝されていたのですが、今は「自分の世界観に共感できる人をどれだけ集めることができるか」ということの方が重要視されていて。
例えばSHOWROOMの前田裕二さんが本を出したり、テレビに出演したりすることに対して「タレントになりたいの?」と見当違いの発言をする人がいたりする。
前田さんの真意はそうではなく、彼は「〝自分〟という人に熱を持ってもらわないとビジネスはうまくいきづらくなっている」と常々言っています。
つまり、彼は〝前田裕二〟を売っているんですよ。
そういう意味では、家入さんが世の中に送り出すビジネスは〝家入一真っぽさ〟があるから、そこにはすでに求心力があり、人が集まるのだと思います。
ベンチャー企業のスタートアップは「ヴィジョンに共感する」というリアルな面が特に大事で、「家入一真はこういう考え方なんだ」ということをみんなわかっている。
リーダー論
箕輪
それぞれの人が「自分には意味がある」ということを信じさせてくれるのがコミュニティだと思っていて。
僕も家入さんもそうなのですが、ある種、欠けている人の方がコミュニティってつくりやすい。
例えば、僕はすぐにモノを失くしたりするし、携帯の充電もすぐになくなる。
すると僕の近くにいる箕輪編集室(オンラインサロン)のメンバーがモノを貸してくれたり、充電器を持ってきたりする。
「最高だね、ありがとう」と言うと、相手も「ありがとうございます!」という反応なんです。
その瞬間、相手の中で「自分には存在価値があるんだ」という実感が湧いているんです。
そこで自信を獲得して、さらに成長していく可能性だってある。
メタップスの佐藤航陽さんが言っていたのだけど、「人間の能力を五角形で表すと、きれいな五角形を形成する人は他人の仕事を奪っている」と。
要は、五角形の一点しか能力のない人の方が、他の四点の仕事を誰かに与えていることになる。
「ごめん、これしかできないから、後のことは誰かがやって」という風に。
だから、欠けている人が中心にいる方がコミュニティは活発しやすいんですよ。
家入
経営者っていろんなタイプがいますよね。
大きく分けて「全部オレが」というアイアンマンタイプと、すぐに下半身を出しちゃうタイプ───僕は後者の方なんですね。
〝リーダー〟というものに対して、ステレオタイプの経営者像をイメージしますよね。
カリスマ性があって、体育会系で、「オレについてこい!」みたいな。
僕も試行錯誤を繰り返す中で「必ずしもそうでなければいけない」というわけではないことに気付いた。
二十歳で起業して、「経営者とはこうあるべきだ」と、最初のうちはステレオタイプのキャラを演じてみたりしたけれど、やっぱり疲れる。
周りからも「家入さん、なんか違うくない?」と言われたり。
自分には全然向いていないということが分かるんですよ。
箕輪
デフォルトのキャラと違うことをしていると、多くの場合、熱は生まれませんよね。
家入
そうなんですよね。
そういうトライ&エラーを繰り返して行き着いたのが「自分よりできる仲間をいかに集めるか」ということ。
それが、組織を持続する可能性やコミュニティの継続に繋がっていく。
だから「自分は何ができないのか」という部分を開示していく方が、支えてくれる仲間が集まってくれるんですよ。
箕輪
全く同意です。
コミュニティって集落のようなものじゃないですか。
ネット上に集落をつくり、わざわざ集まる理由というのは〝自分の存在価値の確認〟なんですよ。
人間が最もうれしいことというのは「自分には存在価値がある」と思うことなんですね。
「君にしかできないね」と言われること。
コミュニティで大切なことは、それをいかにデザインするかということ。
コミュニティって魔法の杖のように聞こえるのですが、実際にはコミュニティを運営することって本を100万部ヒットさせるくらい難しいことなんですよ。
孤独に血を流して闘っていると、一人、そしてまた一人と集まってくるものなんです。
「これを実現しなければオレは死ぬ」という人が真剣にやっているからこそ、周りがその人の夢を応援したくなって人が集まってくる。
「欠けている方がいいから」と言って、手抜きでやっていても誰も応援してくれない。
「その人が掲げている旗に何人集まるか」という話なので、テクニック論ではなく、猛烈な熱意が前提条件なんです。
結局、身を削っていない人には誰も熱狂しない。
家入
先ほど箕輪さんが「コミュニティは魔法の杖じゃない」と言っていたけど、クラウドファンディングも同じ───魔法の杖ではない。
プロジェクトを達成させるためには、まずは身近な知人、友人、親戚、親兄弟に直接プレゼンしてその場で支援してもらうことが大切です。
僕らの立場としては一つでも多くのプロジェクトが成功するように、サポートはしますが、基本的には本人の熱意で身近な人の心を動かさない限りは達成しません。
「達成しないと恥ずかしい」という想いからか、SNSでも発信しない、身近な人にも言わない、みたいなことをやっている人が意外と多くて。
そういう人のプロジェクトは絶対に達成しないですね。
だって熱量伝わらないじゃないですか。
箕輪
本当にそう思う。
それこそ堀江貴文さんみたいな何億円も集めてロケットを飛ばすことって実は超地道なんですよ。
堀江さんの隣にいたら分かるのですが、毎日のように飲み会でもロケットの話ばかりしている。
要は、どぶ板選挙のようなもので、一人ひとり訪ね回るように想いを伝えている。
クラウドファンディングやオンラインサロンを成功させている人を見ると、みんなワープしていると思うかもしれないけど、超どぶ板。
一人ひとりに自分の気持ちを手渡ししているみたいな感覚。
逆に言うと、それが手渡しできないようなものだったら人は集まらない。
「絶対にいいからお願いします」って自分が信じていることが大事なんじゃないかなと思います。
親鸞とインターネット
箕輪
家入さんが語るべきなのは宗教論だと思うんですよ。
企業もコミュニティも、ある種、宗教的で。
特に日本人は〝宗教〟に対してオカルト的な感覚を持っているからそこを打開しないといけない。
ルイヴィトンだろうがエルメスだろうが、世界観に価値があるという意味ではブランドというのは宗教だから。
「箕輪編集室(オンラインサロン)って宗教じゃん」って言われたら、それは誉め言葉なの。
オウム真理教によって歪んでしまった宗教観を、〝インターネット〟というものを触媒にして家入一真が語らなきゃいけない。
それがコミュニティ論となり、居場所論へと発展していく。
今後、〝居場所〟というのはキーワードとなってくるでしょう。
〝居場所〟には二つあって、一つはリアルな居場所、そして、もう一つは心の居場所。
そうなった時に、宗教を持っていない組織は継続が難しくなってくる。
家入
宗教の定義は「生死に関わることの理由の提示」だと僕は思っていて。
人が集まることが宗教ということではないんですね。
生きている中で出会う理不尽なこと、あるいは「どうして生きているのか?」という疑問に対して、「神様が試練を与えてくれている」とか「前世の行いが悪かったからだ」というような人智を超えたところにある理由の提示なんですね。
そこに置かれた言葉によって救われる人は一定数いる。
親鸞は浄土真宗をつくった人で、当時、お坊さんってエリートだったんですよ。
山に籠って修行することでエリート街道を上っていく。
仏教自体が貴族のものだったんですね。
親鸞は出世コースを捨てて、山を下りた。
今、救うべきは貴族ではなく飢饉に喘いでいる農民たちである、と浄土真宗を立ち上げた。
「南無阿弥陀仏と一言唱えれば、誰でも極楽浄土へ行ける」ということを提唱した。
だから親鸞はそれまで仏教でタブーとされていたことを、構わずに試みた───肉も食べるし、酒も飲んだ。
「そんな人が言うことだから、信用できる」と、浄土真宗は急速に広まっていった。
インターネットと浄土真宗って広がり方がすごく似ていて。
今、必要なのはそれなんです。
これから「何のために生きてきたのだろう?」や「どうして自分はこんなにも辛いのだろう?」ということの解決を何も提示してくれない世界になると思います。
経済が成長していることや豊かさのために進歩している時代というのは、ある意味「がんばることができる」わけですよね。
目指しているゴールが見えている。
「幸せは人の数だけあるよね」という時代になってくると、誰も提示してくれない。
選択肢が多いということはすばらしいことである───と、よく語られるのですが、その一方で「正解が存在しない世界」になっていく。
つまり、一つとして正解が存在しない世界は一人ひとりが迷える子羊になり得る。
『ガタカ』という映画をご覧になりましたか?
設定は遺伝子レベルで個人がどのような仕事に向いているかが分かる世界で。
宇宙飛行士に向いていないと告げられた主人公が、一生懸命、宇宙飛行士になろうとする物語なんですね
要は、人工知能にしろ、遺伝子分析にしろ、あらゆるものが最終的に行き着く先は、「生まれた瞬間に、確率論で人生が規定されてしまう世界」なんですよ。
それに従って生きるということが幸せなのか。
真実を見極めたいという気持ちは尊重されるべきなのか。
その辺りの鍵になるのが宗教的な何かがあるのかな、と。
筋肉は裏切らない
家入
最近、「筋肉っていいな」と思っていて。
ここ数年で、起業家やエンジニアなどいろんな人たちが筋トレに夢中になっていて。
話を聴くとその理由がおもしろくて。
〝経営〟というのは、がんばればがんばるほどうまくいくわけではない。
むしろ、がんばった分、空回りして悪い方向へ行くことがある。
───それはコミュニティも同じかもしれない。
でも、筋トレは違う。
がんばった分だけ見返りがある。
これに感動したんですよ。
努力に比例して実るものなんて他にないよね?
このことが、僕の中で核心的だった。
正解のない世界において、中期的な一つの正解として〝筋肉〟はアリなんですよ。
だからと言って、〝がんばっても良くならないもの〟を放棄していいというわけではなく。
「自分の生きがいとは?」ということに悩んでいる人というのは、一日一日前進している実感がほしいと思うんですよね。
昨日より今日、今日より明日、明日より明後日…
手触りとして何かを求めている。
その一つとしてコミュニティがあるのかな、と。
箕輪
複雑なことや深いことを知るためには、ある種、集落化しなければならなくて。
お店でも何でも、毎回新規のお客さんにはそこまで深い内容は望めない。
何十回も通っているうちに「裏メニューありますよ」ということに似ていて。
阿吽の呼吸のような、前提知識を共有できる場をつくることによって深い知識が育まれる。
そういう意味でも、思考の深度を高めるためにはコミュニティは機能していますよね。
時代の最前線を走る二人のトーク。
次世代のコミュニティのヒントが垣間見えた。