八尾市にある自衛隊駐屯地の前では、スタジオの設営が進んでいます。
その名もスタジオTOTOLA。
エンターテイメントの世界を志す者たちのための学校です。
現役のテーマパークパフォーマーや高い実績を持つ元体操選手、シルク・ドゥ・ソレイユの登録パフォーマーが教える本格的なエンターテイメントスクール。
スタジオTOTOLA代表瓜野誠一郎さんがインタビューに答えてくれました。
瓜野さんが学校を作る理由とは?
瓜野さんは関西の某テーマパークでパフォーマーとして活躍する傍ら、自身の立ち上げたフラッシュモブを提供する会社NLPサプライズ(ネクストレベルプロバイダーズ)を運営しています。
そんな瓜野さんがエンターテイメントの学校を作る理由を聞いてみました。
するとそこには深い深い理由が……
嶋津
どうして学校を作ろうと思ったのですか?
瓜野
エンターテイメントの世界に触れる機会を少しでも増やしたいという気持ちです。
テーマパークなどでパフォーマンスを見ることはあっても、実際に自分でやってみるという場所が少ないことに気付きました。
嶋津
見るだけじゃなく、やってみる場所、ということですか?
瓜野
もっと身近にエンターテイメントと触れ合える瞬間があってもいいなって思いまして。
それと、「僕が若い時にこんな学校があったらなぁ」という思いがありました。
当時はこういったパフォーマンスを学べる場所は専門学校しかありませんでした。
専門学校ですと授業料が高いんです。
色々事情があって僕の場合、自分でその授業料を払わないといけない。
十代の僕にはその壁は驚くほど高かった。
瓜野さんがエンターテイメントの世界に惹かれたのはブレイクダンスでした。
高校生の頃、テレビでDA PUMPが踊っているのを見て「自分もやってみたい」と思い、見よう見まねではじめたのだとか。
学校では体操部に入り、部活動では体操、学校が終わるとストリートでブレイクダンスという日々を過ごしました。
高校を卒業する時に「自分の好きなことで食べていきたい」と決意します。
つまりエンターテイメントで生きていく道を選んだのです。
専門学校を調べましたがどの学校も驚くような授業料。
十代の瓜野青年にはそのようなお金は持ち合わせていませんでした。
そして偶然にも大阪でUSJが開かれることを知りました。
瓜野さんは決意を胸に、その門を叩きます。
「オーディションには何度も落ちました」
決して順風満帆ではなかった十代。
幾つもの壁を前に、必死に食らいつく。
懸命にやってきたからこそ、チャンスは巡る。
嶋津
テーマパークのオーディションは一発で合格したんじゃなかったのですか?
瓜野
何度も落ちました。
それでも諦めることができなくて、再チャレンジを繰り返しました。
透き通る瞳で笑いながら語る瓜野さん。
逆境がたくさんあったように感じさせないその少年のような表情。
夢に向かい、日々感動を届けてきた者の瞳です。
プロのパフォーマーとして研鑽してきた日々を振り返ります。
瓜野
ようやく受かった時は心の底から嬉しかったです。
「これでエンターテイメントで食べていける!」って。
嶋津
プロとしてのスタート地点に立てた喜びですね。
ある意味、最初の夢が叶った瞬間だ。
テーマパークではパフォーマーとしてどのようなお仕事をされていたのですか?
瓜野
はじめはスタントマン、それからダンサー、それにアクター、ジャグリング、あとMCもやりました。
嶋津
また色々と!
パフォーマーの方は皆さん、瓜野さんのように様々なお仕事をされるのですか?
瓜野
いえ、僕が特別好奇心旺盛でwww
あと、色んなパフォーマーと話すのが好きなんですね。
それぞれの専門分野を教わってきました。
「こんなこと言うとプロ失格かもしれませんが、喜んでいる姿を見ると涙が溢れてきて」
嶋津
フラッシュモブを手掛けたきっかけを聞かせてもらえますか?
瓜野
その頃は僕、テーマパークでパフォーマンスの他に振付や演出の仕事をしていたんですね。
とある映像会社の方から連絡が入りました。
結婚披露宴でフラッシュモブをしたいので、演出をしてくれないか?って。
当時、まだフラッシュモブという言葉が日本では知られていなくて。
嶋津
フラッシュモブが日本に入ってきたくらいの頃ですか?
瓜野
いや、入ってきた頃というより、初めてのことでしたね。
嶋津
え?日本で初めて?
瓜野
はい。ウェディングフラッシュモブというアイディアは日本初でした。
瓜野さんは日本で初めてウェディングフラッシュモブを手掛けた演出家だったのです。
瓜野
それがテレビで取り上げられたり、ネットで取り上げられたりして話題になりました。
それで「自分たちで会社を作ろう」ということになりNLPサプライズ(ネクストレベルプロバイダーズ)を立ち上げました。
嶋津
フラッシュモブってすごいですよね。
みんながハッピーになる。
瓜野
そうなんですよ。エンターテイナーとして魅了されまして。
こんなこと言うとプロ失格かもしれませんが、プロポーズされた女性が涙を流しながら喜んでいる姿を見ると、こちらも涙が溢れてきて。
嶋津
人生のターニングポイントですものね。
思い出をいかに感動的に作り上げるか。
瓜野
はい、この仕事をできて幸せです。
「諦めずに挑戦する心」と「夢」を育てる。
嶋津
そしてTOTOLAの設立になるわけですが、何かきっかけがあったのでしょうか?
瓜野
元々、エンターテイメントの学校を作りたいとは思っていました。
それもただ漠然と。
こんなにも早く実現することになったきっかけは吉野さんとの出会いです。
吉野さんとは有限会社トライアングルコネクションの代表である吉野和剛氏。
吉野氏は世界最高峰のエンターテイメントカンパニー『シルク・ドゥ・ソレイユ』のパフォーマー。
東京で体操やサーカスのスタジオを経営されていました。
瓜野
吉野さんと仲良くさせて頂いたのはチャイニーズポールというパフォーマンスを指導してもらったことがきっかけです。
その中で親交を深め、僕の夢を親身になって聞いてくれました。
嶋津
エンターテイメントスクールの話ですか?
瓜野
はい、吉野さんもちょうど大阪にもスタジオをオープンさせたいと考えていらっしゃったようで。
本当に有り難いことなのですが、出会って一年も経っていないのに僕のことを信頼して下さって。
大阪のスタジオを任せてくれることになったのです。
嶋津
それがTOTOLA?
瓜野
そうです。
〈チャイニーズポールの演技をする瓜野さん〉
仲間との出会い、そして恩返しを。
嶋津
そもそもTOTOLAとはどういった意味なのでしょうか?
瓜野
TOTOLAには実は『信頼』という意味があります。
信頼→Trust→造語としてTOTOLAとなりました。
吉野さんが名付けてくれた名前です。
嶋津
信頼が人と人を繋いでいる。
瓜野
今考えるとテーマパークで色々な分野に飛び込み、様々な体験をさせてもらっていたことも今に繋がっていたことなのだと思います。
あの体験のおかげで、多くのパフォーマーと親交を深めることができました。
仕事の中で信頼関係を築き上げることができた。
嶋津
今回のスタジオTOTOLAを作る上でもそれが生きてきた、ということですね。
確かに講師のメンバーもそうそうたる面々ですね。
瓜野
有り難いことに。
僕のこれまで関わってきた皆さんに協力して頂きました。
このスタジオの工事も古くからの地元の仲間が手伝ってくれて。
カメラマンも昔からの仲間です。
講師はテーマパークで出会った仲間たちや、仕事の中で出会った人の繋がりです。
だからある意味、このスクールは僕の人生を集約したものです。
嶋津
瓜野さんの人生そのものですね。
すばらしいです。
最後に、TOTOLAの展望はどのようなものでしょうか?
瓜野
このスタジオTOTOLAからプロのパフォーマーを輩出することですね。
そう言って清々しく笑いました。
その屈託のない笑顔は、夢を追い続ける少年そのもので。
そしてふと、つぶやくように。
瓜野
幼き日の僕が行きたかったような場所にしたいです。
今の僕なら、このメンバーを子どもたちに繋げてあげることができる。
それが僕の夢であり、吉野さんへの恩返しでもあります。
こうして瓜野さんのインタビューは終了しました。
パフォーマーとして、また演出家として第一線で活躍する瓜野さん。
「諦めない心」と「夢」を育てることを大切にする。
それは昔の自分へ投げかけたメッセージなのかもしれません。
《スタジオTOTOLA》
幼児・キッズから学べる体操教室からプロフェッショナルを目指す本格派コースまで、あらゆるニーズに対応
場所:大阪府八尾市弓削町2丁目178番地