徳さんの個展へ行ってきた。
先日、大阪の中崎町にあるイロリムラで童画家の徳治昭さんの個展が開かれました。
明るくてあたたかい、時にクスッと笑えたり、ほっこりとした気分になる。 そんないつもの元気でキュートな動物たちの姿ももちろんありましたが。 今回の個展の目玉は人物コラボ作品。 「憧れの画」と書いて「どうが」と読む。 徳さんが様々なジャンルで活躍されている方を取材し、イメージを膨らませて描いた「どうが」たち。 作品を見ながら、創作過程をじっくりと聞いてきました。
徳さんってどんな人?
絵を描く人。 それも夢のたくさん詰まった絵を。 独特の質感と色使いで、誰にも描けない世界を描く。 中でも、らいおんサンは徳さんの代表作品。 「徳さんといえばらいおんサン」っていうくらい。 僕もいくつか〈らいおんサン〉についての詩や文章を書かせてもらったことがあります。 らいおんサンのいるところに物語は生まれると言ってもいいほど不思議な力を持つキャラクターです。
そんな〈らいおんサン〉の生みの親である徳さんも当然、不思議で。 それは徳さんの作品づくりの中で顕著に現れます。 自分の意志で絵を描いているようでいて、誰かに絵を描かされているような。
いわゆる必然感。
だから僕は徳さんの作品がとても好きなのですが、それにも増して作品ができあがるまでのお話がとっても好き。 それは僕が作家だからでしょうか。 徳さんの作品にはいつだって物語が潜んでいるのです。 それはまるで一本の短編小説が書けるほどの。 ちなみに以前書いた徳さんの記事。 是非読んでみてください。 《童画家・徳治昭という男》←クリックしてね
例えば今回の憧画作品(憧れの画)。 女優のたなかえりさんとのコラボレーション。 らいおんサンが光を注ぐ中、ひまわり畑に着物姿のたなかさん。 そのまわりを二匹の猫が。 たなかさんが飼っている愛猫。 茶トラのお姉さんと、黒いシャム猫の弟。 (兄弟というわけではありませんが) 二匹とも十五歳をとうに超えた老猫で。 徳さんがたなかさんを取材した次の日に弟の方のシャム猫が亡くなったんです。 もちろん徳さんはたなかさんから二匹の猫への惜しみない愛情について聞いていました。 たなかさんを描くにはこの二匹の猫はなくてはならない存在。 それだけに、〈猫との別れ〉は見えない圧となり、徳さんの両腕にのしかかりました。 背景のひまわり畑を描いたところで、徳さんの筆が止まりました。 「自分は猫を描けるだろうか」 どうしても猫を描けない。 どこに猫の姿を描けばよいのか分からない。 徳さんの筆は止まったまま、からっぽのひまわり畑を眺める日々が続きました。 出口の見えない迷宮に入り込んだ徳さん。 なす術のない状況で、思わず天井を見上げました。 そしてふと、全てを一から考え直すことに決めました。 「猫」というテーマを一度全て忘れ、「たなかえり」さんに向き合いました。 取材した時のたなかさんの言葉を頭の中で反芻し、たなかさんの出演した作品を何度も見ました。 イメージの扉が開く瞬間。 浮き上がるイメージをなぞるように絵筆を動かす徳さん。 その光景が消えてしまわないように迅速に、崩れないように丁寧に。 開いた扉の向こうにある景色。 それを見えるカタチに翻訳するように。 溢れる情報と、思考が臨界点に達した時、その扉は開かれる。 扉の向こう側とこちら側の世界を繋げるものは、ただ右手に持った絵筆だけで。 頭の上に乗せた積み木の城を運ぶように。 おそるおそる、そして力強く。 光に包まれ、ヒマワリ畑に浮かぶ着物姿のたなかえりさんは描かれました。 ふーっと一息ついた瞬間、不思議なことが起こります。 ヒマワリ畑の上がもぞもぞと動き(それはたなかさんを包むように)、何かが浮かびはじめました。 それは猫たちの姿でした。
大好きなお母さんが絵に現われたから、やってきたんだね。 浮かび上がる二匹の猫を、徳さんは絵にすることで命を吹き込みました。 あれだけ苦労しても出てこなかった猫が、たなかさんの姿を見た途端、急に現れた。 「たなかえりさんの姿を見て、安心してやってきたんだと思います」 徳さんは穏やかにそう言いました。
作品が完成した、その日の夜。 キャンバスに向かって全身全霊を注いだ徳さん。 ぐったりと、作品の前で座っていると、ふと前方に気配が。 じっと目を凝らすと、それは黒いシャム猫でした。 しっぽを揺らしながら歩くその姿は、紛れもなく亡くなったあの猫。 しばらく徳さんの前で戯れて、そのまま消えたと言います。
「猫が納得してくれて出てきてくれたんだと思います。 よくやった、って褒めてもらえたような」
そう言って徳さんは笑いました。 僕は静かにその話に耳を傾けていました。 見えないものを描ける人ならば、見えないものが見えてもおかしくない。
存在しないはずのものが現れることはよくあることだと徳さんは言います。 でも、今回のように「猫」は初めてだったと。
「それも、動く猫でしたよ」
研ぎ澄まされ過ぎた感性を、紛らわせるように冗談っぽく言った徳さんでしたが、僕は本当の話だと思います。 作品に向き合っている時の徳さんは、常人とは全く別の世界に住んでいます。 そこではいつも不思議なことが起きている、当たり前のように。
きっと猫が徳さんにお礼を言いに来たのでしょう。 「また、お母さんと会わせてくれてありがとう」 って。
徳さんの作品づくり。 完成された絵画は氷山の一角で。 水面下には膨大な量の情報や思考、イメージが眠っています。 一度、徳さんがテレビの取材を受けた時にムッとしたことがある、という話を聞きました。 温厚な徳さんがどういう理由で?と興味をそそられました。
それは番組内で、似顔絵を紹介するため、スタッフの方に「ちゃちゃっと何か描いてください」と言われたことが原因だとか。 徳さんこの言葉に腹を立てた。 特に「ちゃちゃっと」の部分。
「俺はたとえ似顔絵でも気持ちを込めないと絵は描けない!」
穏やかなので、口には出しませんでしたが胸の中ではそう叫んだのだとか。 だから、120%の熱量でその似顔絵を描いたと言います。 スタッフの方、驚いたでしょうね。 簡単に描いてもらうつもりが、思わぬ力作となって仕上がってくるのですか。 それくらい、徳さんが絵に向き合う時はいつも真剣。
色々話を聞くと、童画家「徳治昭」という人物は実に興味深いのです。 まだまだ知られざる不思議なお話がたくさんありますので、随時お知らせしていこうと思います。 引き続き、徳さんの創作過程の物語をお楽しみください。 徳さんの情報についてはこちらから。
《徳治昭童画館》←クリックしてね